龍船の由来


 

龍船の製作年代は定かではないが、諏訪神社回廊の絵馬に描かれている絵より想像すると明治以前の作ではないかと思われる。
 歴史上、龍船が登場するのは平安時代、 「源氏物語」 「紫式部日記」にて「唐の船に似たのに龍頭鶴首を飾って・・」とある。この船は今も大覚寺の池畔に再現されている。
 では西M町龍船に関する由来を検証すると、昔アニオーさん(安南語でアニヨン即ち王后を意味する)が長崎人荒木宗太郎(貿易商人)に嫁入りする際、大波止より上陸して華麗な行列をつくり、市中を練り夫の元に至った際の王女の船を暗示したものと思われる。
 従って根曳は昔は全部唐人服を用いたもので、龍船上で唐子踊りをした、その服装が今に残っている。
周知の如く西M町の龍船は最も整った船体構造をなし、最も龍船らしい組織と装飾を備えた我国、古代型龍船中代表的逸品である。

 日本に於いて断然、他を抑えている様にヨーロッパの陸上聖舟に比較しても遜色がないと云われる。
   長さ一〇・六メートル、舟腹幅一・六六メートル、 高さ四メートル
 おくんちの曳き物中最大の大きさであると共に豪華絢欄たる曳き物である。
 中央の朱塗りの屋形は二階造りとなり、其の屋形を開けば勾欄付きの舞台となる。その舞台の上と下とを利用して調和ある華麗なる本踊りを奉納するのである。(今年は本踊りは奉納しない。)
 又、龍の頭と尾はその時々に応じ上下に動かし、其の凄みに一層の拍車を掛ける事ができる。この開く屋形と動く龍頭、龍尾も当町の龍船の特徴である。
 尚、この龍船が色采(添根曳)の指示により舵、根曳が一体となり、七つ拍子の囃子に乗り廻転する時は三つ車のため、他の曳き物と異なり廻転速度も早く、その有様は勇壮の一語のつきるおくんち演し物中の圧巻である。

西M町龍船保存会






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